一転二転は進歩の姿、さらに日に三転よし四転よし

この歳になっても まだまだ知らない事が多いです。

長らくスキマ的な産業での仕事を続けてきたせいなのか、知識の幅が極端に狭いのでは

と感じてます。同じ24時間の使い方が、高度成長期の働きバチ同様の生活を送った

影響も否めないです。本来なら友人や趣味・読書や旅行・また転職などからの異業種体験

など忙しいのを理由に経験を踏まなかったせいで、普通の方が知ってるような事が出来ない。

後悔しても仕方がないので、今から仕事人間が辞めれれば、興味はなくても、その世界を観てみる

とか自分には才能が無い分野も除く事も大事なんでしょうね。食わず嫌いなどの諺のように

最初から面白い訳でなく、自分も興味が無かっただけでその世界を少し齧ると、嵌るかも。

駅ピアノを弾いてる方をみると尊敬するし、観光地で絵を描いてる方をみると実にいい趣味だなあ

と感じるし、幅を感じる。折角この世に生まれたなら、生きてる時間が有限で有る故、あれもこれも

やれることは無く、出来る事しか出来ないかも知れないが、そこに行かなければ会えなかった人や

風景・街の匂い、同じにほんであってもところ変わればで、土地土地に定着した慣習もあり方言も

ある。仕事で何時間残業したなんて何の評価にもならない気がした。学者さんによくあるその専門性

では権威だが、一般的な事は出来ないとか

いろんな体験をされて来た方、どん底を見て這い上がった方、苦労苦労で良い事なんて何もなかった

という方、レールを外れてしまって、もとに戻るのはハードルの高い日本の社会。

みんな同じが良い、その枠からは外れたくないが、少しは自分を主張したい。アンフェアな事が多い

このご時世ではあります。その理不尽であっても、いい音楽を聴いたり、いい絵を鑑賞したり、

森林の中に分け入り、マイナスイオンを浴びる。有料な情報には、やはり価値があると思うし、

自分の意識が変わってステージが替われば、その周りも伝心して波長の合う人間関係を構築も。

24時間の過ごし方、時間の割り当て方、1日ずつの積み上げは、すぐには目に見えないけど、

50歳を過ぎ、還暦を越えて来る頃には、圧倒的な差が開くのだろうと思うのだがどうだろう。

仕事ばっかりの人生も、出世はほどほどでアフターを充実したい人生も 結局の自分自己満足感

だけのものかも知れないけど、初対面の印象や、一言二言の言葉から滲み出る、奥行きの深さを

垣間見れる方に会った時、鳥肌が立った経験があります。

一見ですので、今後出会うことも無かろうとは思うのですが、何気ない佇まいが印象的で、

とても憧れるし、自身もそういう方向に向かうのは、遅くない勉強かと

貴方は尊敬できる方が何人いらっしゃるのでしょうか。奴には勝てないなって思う方は

いらっしゃいますか。そういう方と出会えてる貴方が素晴らしい。