生きてるだけで儲けもん 生きている貴方が価値があり喜ばれる

元デンソー社員の方が、愛娘の死を経験し、「いのちの授業「をしている講演会に行く機会がありました。

きっかけは長女が3歳で発病、6歳で亡くなった。

家よりも出世が先の企業戦士だった自身が、いのちについて考え方を変えたんだそうです。

当たり前の事ながら、命には限りがあり、支えられていると言う事。

人生2度無し、明日が最後かも知れないから、「尊厳を持つ」「感謝する」「一生懸命」

人と関わって生きる上で大事なことに気づきましょうと、話され無くなってからでは遅いとも

自分がいただいたものをバトンタッチする事が今を生きてる私たちの使命である、

「使命とは命を使うと書く」というのも意味があるんだとお話されてました。

子供のために親が涙を流す姿を当たり前の感情と思ってましたが、虐待されている子供には

理解できない、現実でもある。とても悲しい事であります。人によっても受け取り方はさまざま。

親から子供への愛情は「家を建てよう」という物理的なことや教育費を稼ごうという外形的な

意味合いも含めて、心の土台というメッセージは万人には受け入れにくい側面があるのは承知で

でも、話をすることで、一人でも多くの方がいのちについて真剣に考えてくれたら幸いです。

人は必ず死ぬのだから

おのちのバトンタッチがあるのです。

死に臨んで先に往く人が、「ありがとう」と云えば

残る人が「ありがとう」と応える

そんなバトンタッチがあるのです。

死から目を背けている人は観そこなうかも知れませんが

いのちのバトンタッチがあるのです。

詩人・作家 青木 新門 「いのちのバトンタッチ」より引用