金・銀・飛車で無いけど 歩でも一歩づつ進めば、いずれ「と金」

「あたりまえ」を見直すと言うと大袈裟に聞こえますかね。

コロナ禍も2年も経てくると、これが日常の風景(マスク・手洗い等々)に見えてますね。

でも始まった当初は情報も無く、報道などであれこれと云われ、何が正解が分からず、

日本人特有の同じ方向を向いて同じ行動様式を行う事を良しとした風潮でした。

身をもって知るのが、身の回りの人や有名人の方の訃報から肌感覚で浸透したようにも

思いました。

親に会いに行くのは面倒、家に居ては勿体無い、コンサートも甲子園もフェスも中止に次ぐ

中止になって、いつもあるのが「あたりまえ」、「この時期はこれが・・・」史上初めて

なんて報道もたくさんあったように思います。

「人はあたりまえのことほど、それに対する感謝の心を忘れがち」で、生きてるだけで良い。

いま、ここにある幸せに気づく良い機会になってますね。

親がいるのがあたりまえ、こどものことに心を砕くのがあたりまえ、陰になり日向になって

子どもを助け、守るのがあたりまえ。

仕送りがあるのがあたりまえ、親戚づきあいがこんなに大変だったなんて、そう感じる。

「面白くない」「ムシャクシャする」「ああ、うっとしい」そんな気分が何かにつけてあった

頃を振り返ると、皆さんのまわりの「あたりまえ」をもう一度見直すのはどうでしょう。

朝、起きたら朝食が準備されてる。会社に行けば、昨日と同じ仕事が変わらずにある。

なにかあった時、ひと声かけたら酒に付き合ってくれる友人がいる。寝顔を見るだけで元気に

なる子どもがちゃんと育っている。

「いま」「ここ」にある「あたりまえ」にどれほど自分が支えられているか、癒されたり、

励まされたり、勇気づけられたりしているかも知れません。

前の通りにはなかなか戻れないかも知れませんが、柔軟な思考でそれなりに折り合いをつけて

過ごしていきたいものです。

 

焦らない! 慌てない!  1日に1回は立ち止まって、現在地を確認しましょう。