神社はお願いする場所で無く、お礼を言いに行く場所 無事でしたと

ロシアとウクライナの紛争においても世界の足並みは揃いませんね。価値観・宗教観というか過去の教訓みたいな事が

それぞれのお国柄で違う視点があるのでろうか。日本人にしてみれば問題無い事でも、世界から見ると異様に映る習慣

が多いのだそう。お正月には初詣、バレンタインやハロウィン、お盆には墓参り、クリスマスがあってと無宗教の所が

海外の人には不思議に映るそうですね。とても柔軟なんだろうか島国の影響か戦後の多様化政策の影響なのかも。

真面目な我々は、迷信と分かっていても良くないことを受入られない体質が今も残っていますね。

大安や仏滅、数字の4や9、北枕に四十九日とデリケートな信心が時に和み、時に排除に難しい所です。

昔のブラック川柳に「亭主殺すにゃ刃物は要らぬ、役に立たぬと言えばよい」というのがあるんですけど、

人々の価値基準が「役に立つか、立たないか」で区別されており、役に立たぬものは意味が無く、資本主義の世界

では、排除されてしまう。人はだれしも老いていく、やがて役に立たぬものになって行くのですよ。

でも欲望は死ぬまで尽きないともいいます。

ある本で「100の事柄があれば、99回は嫌なことであるが、たった1回のご褒美で報われる」と書いてあった。

ある深夜のドキュメンタリー番組 「阪神の若手選手が、脳の病気にかかり、手術・リハビリを懸命に行ってきて

病気前の体力まで回復したが、視力が戻らず24歳の若さで引退する事に、球団の計らいで引退試合を設けて頂き、

最終回、守備についた(センター)、相手ランナーがいてチームがピンチ、そういった時に変わった所に打球は

飛ぶもので、本人ほとんど視力が無いに等しいのに、チャッチしバックホームをしてランナーをホームで刺しアウト。

とても感動をしたが、本人の最後のスピーチで野球の神様がいてご褒美をくれたと話していた。粋な計らいは、

度々見る事がある。日頃の努力と不安と恐怖と向き合った彼への区切りをつけてくれたんだと思う。

4月に向けて環境が変わる人、異動で最初からという人、新しい人間関係が始まる時、「4つのH」のステップ

があるらしい。何をやっても楽しい「ハネムーン」・だんだんアラが三重てムカつく「ヒステリー」・異なる個性

を受け入れる「ユーモア」・歩み寄りが普遍になり自分の形に「ホーム」の流れだそうですが、第2のステップ

「ヒステリー」の段階で見切りを付けてしまうのは勿体ないですよね。今の状態がそうでしたら、流れに任せて

見るのも一考ではないでしょうか。