時間軸の分岐点 人は面白く生きてはいけないのですか?
運転について、個人の移動手段にしろ業務利用にしろ、お互いに迷惑を掛けず、安全に配慮して車を
使うべきことは分っているとは思うが、最近 頓に不適切な運転行為を目にするのだがどうしたものだろう。
若年者でもなく、高齢者や専業運転者、法を取り締まる立場の者さえである。
ルールで縛ると違反したがる者たちもいるだろう、咎められるから、やらされている感から、
返って順守している方が、迷惑運転だと言わんばかりのその地域独特な環境マナーがあるらしい。
約束だから守るのが当然という考えが、大きな声で言えなくなっているね。
生きて行くために、第一義的に働くという行為がある。勤めに出るのも、家業を営むのも、家事労働
にいそしむのも同じことと思う。
仕事が楽しいならそれは結構なことであるけど、様々な事情で希望するような仕事に就けなかったり、
思わしくない職場環境に置かれている方も、苦労の多い仕事に耐えている人もいるのも事実ですよ。
楽しく、遣り甲斐をもって仕事に意義を感じろと言ってもねえ。気持ちだけでは食べて行けないですもん。
長年の努力が実り、子供の頃から目指して来た職業に就いて活躍している人も一握りはいるでしょう。
多くの人は、就職活動などを通じて、たまたま巡り合った会社等に就職し、与えられた仕事をこなしていく
中でそれぞれの分野の仕事に習熟し、向いていたならラッキーで、実の所、そう自分にぴったりの仕事が
見つかるものでもないが、何処かで折り合いをつけて継続していくんだろうと思っています。
それでも、やらされるのは愉快では無いですよ。仕事でもそうだし、日常の家事や生活上の様々な雑務もまた
然りであります。せずには済まされないなら、「やらされる」前に自分から「進んでやる」方が精神衛生上、
楽であることは経験上、感じる事でもあります。
自分がやりたいものかどうかは別として、真っ当な仕事であれば、価値の無い業務は無い筈で、好きな事だけ
やって済ます訳にはいかない、志望通りの企業に就職出来ても、自身が望む職場に配属されるとは限らないし、
望みの業務に就いたとしても、好きな仕事ばかりをしていられる訳ではありませんしね。
長生きするために生きているわけではありません、長生きは手段であって目的ではないはず。
何のために生きているのか、楽しむためなのか、ハラハラドキドキするためなのか、誰かを幸せにするためなのか
不安なく安定した生活が出来る事、住むところがあり、食べるものにも不自由せず、死ぬまでお金が尽きないこと
ここがゴールなのでしょうかねえ。自由で面白い人間体験する時間をこんなにも不自由でつまらないものに
変えてしまっている気がしてならないが如何でしょうか
それも人間の面白いとこなのでしょうか。