与えるものが受け取るもの 人と同じでなくても 不条理が前提と

コンサルタントの船井幸雄さんは、サムシンググレートにより、全てがその方向へと導かれると本で読んだ記憶がある。

良い事も悪い事も皆公平に与えられるらしい。努力は報われるとか練習は嘘を付かないなどとアスリートがよく言う言葉

もあるが、果たして本当なのだろうか。

1万時間の法則という理論があるようだが、確かな根拠はない模様だ。

テレビゲームや楽器・スポーツなどは約20%位は、時間を費やした分のスキルアップは有るらしいが、その先の段階で

は、時間だけではどうにもならないらしい。

昔 認識した常識? とやらは今は科学的に逆の見解になっているものも少なくないですしね。

スポーツ系の筋力トレーニングでも、水飲むなとかうさぎ跳びは違うし、根性論的なものも化石化されてる。

中高年世代が、若年層の頃に味わった数々の無意味な扱きや下級生の玉拾いや声出し、リズムに合わせた激励コール

懐かしい方もおられると思いますが、その時分はそれが普通という感覚でしたよね。

上級生になったら2年前にさせられた仕返しをするんだとばかりに必死に耐えてたっけ、もう笑い話ですけど。

でも現実においても宝塚のいじめや日大の違法タックルなどもその伝統というかその環境では普通だったのでしょう。

何を今更と思いますけど、偶々やり玉に挙がったまたは少々やり過ぎてお目玉をもらってしまったいう認識では。

校長や社長・管理職、理事長・警察官またまた政治家でという肩書があっても肩書から立派な人物だ、しない筈という

先入観がありませんでしたか。法に触れるような事はしないということはなくなったよね、報道が昔より沢山出ている

だけで、昔から不祥事はあったろうし。

学校は神聖な場所で生徒が安心できる空間といっても殴る蹴る、刃物で刺すもあるし、無視、シカとなどあちこち

で発生しているが発覚してない、もみ消すなど内輪で納めているケースも多かろう。

あれだけやったのに、不公平だと不満を持つ、腹が立つ、その希望する所にいる人を妬む、僻むことになりがち。

見返りがあるから努力を努力と思ってしまうから好きでやってるだけよ程度で終わっていれば結果は如何か。

またクールにすべての事は決まっていて、努力で報われる時もあればダメな時もある、ただ起きる事が起こる。

人には物差しがそれぞれあって、比較という名の経験値や思想信条が絡み合って複雑になるね。

自分で所らず知らずの内に物差しを当てて、判断結果を見てこうあるべき、これは自分の望むところに合致して

ない、これは納得いくからOKと個々に当て嵌めがちでないだろうか。

パラレルワールドというところの、報われるシナリオとそうでないシナリオの両方があると思えないか。

自分にはひとつの人生で片方しか見れない、でもあなたがこの人生で見られなかったもう一方は、必ず別の人生で

回収する。すでに他方を経験したから、今それを(報われない方)しているかも知れない。

公平バイアスの思考が多いのでそうなるのかも知れないけど、どっちもどっち程度で考えたら宜しいでしょう。

こうあるべきだに異常にこだわるのは如何でしょうか。そんなんもあるわなって気楽に

政治家がパーティー券を売るのだって、キックバックで資金作りは分っているし、落札出来るように資金提供する

のも昔からあるし、談合だって表向きと本質はあるし、電化製品だって適当な時期に故障しないと新製品が

売れないしね。戦争はいけないことと分っているが、利害がかかると対立するし、話し合いでは基本解決してない。

環境問題でもまた原発動かさないとという流れも出来つつあるし、予めシナリオ有りきなんだろう。

あまり突くと、深く潜って、より巧妙にやるようになるのではないか、鼬ごっこでしょうかねえ。