聴力は最後まで残る 声を掛け続けたい 伝わると信じて

日本人特有のものなのか分かりませんが、○○出身 ○○出 元○○ という肩書?

を耳にする機会が、オリンピックや高校野球の画面からありました。

地元であったり、ゆかりの地域だったり、町おこしの一環なのか、市を挙げて、

街を挙げての応援、一夜にして時の人となったりする。

生まれより長い期間住居していても、出生地、一時期を過ごしたというだけで

メディアに晒されますね。良い事でも事件のような悪い事でも。

本人や親戚等、誇りを持てる内容であって納得していれば良いけど、いい思い出

が無い場合や逃げるように去った人も、思い出したくない黒の記憶もあるでしょう。

東野圭吾さんの本にも度々、このエリアの地名が出る、社会人の地でもあるようで

「おおっ!」と読んで感じますが、事件現場や犯人などの関係地であれば、映画化

されるとちょっと厄介だなあと思う時もありますね。

東京大学を卒業すれば、一生その肩書が使えますし、野球でも甲子園に出場すれば、

履歴書にも書けますしね。反対に一度道を外れると、更生しようとしても、なかなか

世間が受け入れてくれない現実もある。おとなしく、後ろ指刺されず、目立たないように

生きていても引き上げられる人もいれば、報われない人もいる。

金メダルならば、その後引退後も道が開かれる。4位ではメディアも触れない。銀も銅も

入賞もすごい事なんだけど、その後の評価に繋がらないように感じる。

中日新聞朝刊 「くらしの作文」には、ほんわかする内容が載っている。特に年齢を召した

女性の投稿は、やさしい眼差しの文章が感じられて、日課をなっている。

「立派な野菜を作る秘訣は」と息子の嫁が義母に聞いた。

①世話次第 ②肥料次第 ③毎日「来たよ」と足音を聞かせること・・・なるほど、そうだな。

人との関わりも全く同じだなと感心した。人に優劣は無いと思いたいし、そう接したい。