双子の宇宙語 二人だけに通じる言葉 成長とともに自然と消えていく神秘 今しか見られない
この時期になると、終戦関連の報道が多くなる。戦後81年を過ぎ、当時を知る人も少なくなって来ている。語り続けようといくつもの会があるが、
軍人ならともかく、あの地獄図を見てしまった人々の多くは、その当時の事を例え家族であろうと口にしない方が多く居た。今でこそトラウマと言う
けどその強烈なイメージが大きく、自分が死するまで墓場に持って行こうとする。特にシベリアに捕虜として過酷な業務に仕えた人たちは、その仲間
が一人また一人と亡くなっていく現実、火葬もされず、畜生の扱い。厳寒にまともな食事も支給されずに
原爆の被害にあった人たちの映像も悲惨だ。瓦礫と化した遺体の上を歩いて逃げる人たち、まだ生きていて命乞いする人を助ける事も出来ず、自分が
生き残るのが精一杯の中で、その声が耳から離れない、現在でも呵責の責に苛まされている。助けもしないで逃げた、何もしてやれなかったと。
堂々巡りなんだそうだ。かつての満州の建立や敗退で人生を狂わされた人も辛い日々を送っている。日本でも中国でも同じで残留孤児と呼ばれ、国籍
の為に、異国の地でずっと差別や言語の壁に悩まされ、知人は居なくなっている。特に1世の方の苦労は想像を絶する。翻弄されてるのは、極々普通の
人たちです。補償と言っても微々たるもので、期限制度だ。現状も両国の関係が思わしくないのも懸念材料だ。その家族の2世・3世・4世も立場は
違っても、生きるのにはとても苦労しているとテレビ報道で流れていた。日本や中国だけで無く、ロシアやウクライナ・イランなどでも被害者は本人も
家族も苦労を強いられ、現在また今後も続いています。81年を過ぎても、世界各国で紛争が絶えない。戦争のない世界をと謡っても・・・。
焼き場に立つ少年
佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。
彼らは60センチほどの深さに掘った穴のそばで作業をしています。やがて、10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目にとまりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に負っています。
弟や妹をおんぶしたまま広場で遊んでいる子どもたちの姿は、当時の日本ではよく目にする光景でした。しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。
重大な目的をもってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすりと眠っているのか、首を後ろにのけぞらせていました。
少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクの男たちがおもむろに近づいて赤ん坊を受け取り、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に焼けるジューという音がしました。
それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がり、真っ赤な夕日のような炎が、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました
その時です。
炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは。
少年があまりきつくかみ締めているため、血は流れることもなくただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が鎮まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。

