記憶はいい加減 見たいものだけしか見えない 省略や手抜きが好き
電車やバスに乗車していて、隣から聞こえてくる会話が目を瞑っているととても面白い。
漏れ聞こえてくるお喋りにもセンスのあり、おもわずほっこりしてしまう事もある。
最近はスマホでじっとしてる方の方が多いのだけれど、男性より女性の方が、話が
あっちへこっちへと移り変わるのだけれど、聞いてる相手も負けずと会話を叩きこんで来る。
それで持って、また最初の話題に何気に戻ったりもしてて、気転が早いというか、自分の
話だけ言いたいだけでと思っていても、会話になっているのが凄いです。
男性の会話は、単語が短くとてもシンプルで背景は想像しやすいです。
小学生層の会話も地元色は色濃く出てて興味深い。男の子は単純な会話が多い、女の子は何処で
覚えたのか大人顔負けの話しぶりをしますね。
会話が途切れて、駅に降りるときに、目を開けてその方を見ると、頭で想像してたイメージと
全くマッチングしていなくて、いかに自分の頭が自分の都合よく編集されるものだなあとつくづく
感じます。声のイメージと顔かたちのイメージがピッタリ合う方、少ないような気がします。
という事は、私自身も自分が勝手にイメージしている自分は都合よく加工されているだけで、他人には全く
違うイメージをされているんだろうなと想像しただけで落ち込みますね。
もう一つ、自分の声もそうですね。自分の耳で聞いている自身の声と録音された自分の声を聞くと、
あまりの乖離にめげそうになります。こんな変な声やったんかいと。トレーニング次第で声質は
矯正できるようですが、せめても相手様に不快な思いをさせないようにしたいですね。
人の目や耳や鼻など、情報をキャッチする器官は、自分にやさしい記憶を残そうとしてくれてる
のでしょうか。知った時にはショックも大きいのですがね。
人間も完璧でないし、脳も錯覚もするし、一度楽を覚えるとそれ以上はセーフティー機能が働くようにも
なっている。一定の負荷も掛けていかないといけないのは分かってるんですが、おっさんは特に、この辺の
頑張りが女性のように継続出来ないですね。すぐに先延ばししてしまう。あきまへんなあ。