自然や環境に寄り添う、そして風化する 間 無常 場の習性を悟ろうか 

久しぶりに岐阜県庁を訪れた。知らなかったが、4年前にリニューアルしてたようで、イメージが白っぽいというかアルミ色の外壁だったので、

最初見たときは、あったかい雰囲気を纏った品がある感じであった。調べてみると、有名な建築家の隈研吾さんじゃないですか。新国立競技場

を設計した方ですよ。イメージ通りの、木のぬくもりを意識したデザインでしたね。最近話題の某テレビ番組でもここがロケ地になったとかで

連日見学者が多く詰めかけているとの事。1階のホワイエにある巨大な木の抽象アートは、圧巻でこれも同県高山市在住の左官職人「挟土修平」

さんの作品「岐阜に舞う」というタイトル、一般的な絵画とは異なり、壁に土を塗り重ねて模様や質感を表現する土壁アートと呼ばれる作風。

近くで見ると、色だけで無く、凹凸もあり、迫力があります。飛騨地方の祭屋台で舞い上がる紙吹雪と美濃地方の長良川鵜飼で燃え上がる

かがり火の火の粉をイメージしてるそうで、文化や歴史、人々の思いが空へ舞い上がる岐阜って事でしょうか。そういえば、同県の信長公

ギャラリーでもエリアに向かう通路の両脇に張られている壁画も挟土修平さんの作品でしたね。素人の私でも「うっ」っとくる迫力を感じますし。

また20階の展望ロビーも立派で、ここでも多くのロケが敢行されているそう。

岐阜は、そういったロケーションが良いのか、岩村の城下町・恵那の大井宿など有名ですね。あの作品をイメージしての誘致であれば、どっぷり

昭和感満載の演出家なんでしょう。同世代からするとしっくりくるシーンでした。島根県のロケ地しかり、古き良き日本人の息遣いを感じさせる。

AIなど昨今の最先端技術が幅を利かせてる時期に、少し前の日本人の日常生活を思い出させる演出、忘れがちな時間の経過を、無駄を承知で

はめ込んでゆく映像は、スピード感がある毎日、置いて行かれてしまう危機感を背負いこむ現代人に向け、無言のアプローチの見せ方なのかな

と感じるのは、自分だけの少数派でしょうか? 武将を描いた、墨絵も良いですよねぇ、こうじょう雅之さん、村井絋一さん、御歌頭(おかず)

さんなどの墨1本の濃淡だけで描く真田幸村、武田信玄、織田信長 カッコ良いんですよ。勢いがあって、背筋がピッシっとする感覚が堪らない。

こんな所も好意的な意見の少ない一因かも知れないけどね。70年代・80年代の音楽もすぐに歌えるし、顔の区別も付くし・・・。

安藤忠雄さんの建築を「かつ建築」と言われ、隈研吾さんの方は、「負ける建築」と批評される。

彼の言葉を借りれば、自己主張より寄り添いを重視、建築を通し社会全体の変化を映す意識。

強さよりも関係性、永続よりも変化を肯定する美学が、今後を形づける と書いている。

どっちがいいかでは決められない、どちらも良いところもあり、弱点もある。所詮、人は完全で無いから、こうでなくちゃと頑なにならないても

良いのではないだろうか。思い描いても、その通りに行かないのがまた人生で、愚直にやり続けるしかないんだろう。