人生が二度あれば そんな歌もありました リセットしたい気も判ります
昨年暮れと今週初め、以前勤務していたスタッフの訃報の知らせがあった。
共に60代で現職の立場で、朝出勤していないため、同僚が自宅を見に行ったら、死んでいたとの事。
独身であったが、前日まで普通に勤務をしていた、突然死と思われる、苦しまずだったのか相当苦しんだか
分かりませんが、中高年で特に男性の比率が高く、朝方の死因が大半、心臓疾患によるものが大半だそう。
本人にとっては良かったのか、やり残した後悔が終焉の時に感じたか判断出来ないけど、ネット検索では
最近頓に増えている現象だったようなので、我がふり直せでないけど、私も年齢的にも対象であります。
残された者に何かを託せる準備がしていないので、こういう場面に出会うと他人事では済まされない。
自宅の布団で無くなっていたケース2件でしたが、交通事故もあるかもしれない訳ですし、トラブルに
巻き込まれるケースもゼロでは無いでしょう。
今日が最後だと思えるのは、こういう事態があった時では感じるが、時間が経つと日々の流れに意識が
薄くなってしまうのも否めない。きっと前兆も本人にはあったのかも知れないけど、業務の中で休む訳
には行かなくてついつい先延ばししてしまったのかもと推測もします。
最近 疲れやすい 疲れが取れない 上手く寝れない 体が重い 興味が薄れてきた 鈍い痛みがあるが
医者に行くほどでも無い こんな事もあったかも知れないが、中高年になれば誰しもあるわと、そのまま
サプリや健康ドリンクで騙し騙し、身体の異常サインを見逃していたかも。
幸いに業務運転中でなくて、良かった、当日の配車は大変だったろうけど、迷惑を最小限に出来た事は、
日頃の行いの良さが最後に現れたのでは無いかと、ご冥福をお祈り致します。
「白骨」・・・現代訳 抜粋参照
それ、世間のことがらの浮か浮かとして定まりの無いありさまをよくよく考えて見ますと、およそ何が儚い
かと言って、人間の生まれてから死ぬまでの間、幻のような人の一生ほど儚いものはありません。
それゆえに、いまだ一万年の寿命を授かった人がいたなどということを聞いたことがありません。人の一生涯
は過ぎ去りやすいものです。今までに百年以上の肉体を保った事は出来ません。人の死とは、私が先なのか
人が先なのか、今日かも知れないし、明日かも知れない、遅れて死に、先立ってゆく人は、草木の根元に雫が
滴るよりも、葉先の露が散るよりも数多いと言えます。
それゆえに、朝には血色の良い顔をしていても、夕暮れには白骨となる身であります。もはや無常の風が吹いて
しまえば、たちどころに眼を閉じ、一つの息が永く絶えてしまえば、血色の良い顔がむなしく変わってしまう。
桃やすもものような美しい姿を失ってしまえば、全ての親族・親戚が集まって嘆き悲しんでも、どうする事も
出来ません。
野辺に送り、荼毘に付し、夜更けの煙と成り果ててしまえば、ただ白骨が残るだけです。哀れと言っただけでは
言い足りません。世間のことの儚い事は、老少不定の境遇でありますから、どのような人も後生の一大事を心に
留めながら日々を生きる。
49年も指名手配であったにも関らず、地域に馴染んだ男性が、最後は本名で死にたいと死期が迫る中、告白した
報道を読んだ。事件を起こした22歳から亡くなった70歳まで、何を想い暮らしていたのか、まだ改革という
軍事行動の教示が維持出来ていたのか、「腹腹教本」とやらをみると、近隣挨拶や怪しまれないように溶け込む術
の教示がされてる。身分を証明するものも持たず、住み込みで出自で不明でも勤務が可能であること、手配書が
掲示されても付き合いのあった近所の人たちも勤務先も分からなかったらしい。こんな近くに潜伏していたのに、
この方の一生は本人しか判らない感情だとは思うが、幸せな時間だったのか、国家権力に終生勝利した感慨なのか、
偽名での生活で成し得たことは何だったんだろうか、ジャズバーで音楽を楽しんでた人柄もあったようで、
日本に限らず、別の人生(戸籍等)で生きてる人、生存している記録であるのに既にいない人とか結構な数が
いるのではないだろうか。闇は思うより深いものであると、光の当る部分は実はほんの少しの部分だけかも。