読む度に号泣 どんな立ち所でもまだ大丈夫って 生きてさえいれば
「おかあさん、僕が生まれてごめんなさい」
「ははへの感謝を綴った詩に涙」というタイトルで石川県に住む主婦の投書が新聞に掲載され感動の輪が広がっています。
「美術館なんて趣味に合わないし、書道なんてつまらない・・・という女子高生の一段の言葉が、美術館でボランティア
監視員をしていた私の耳に入り、思わず口にしてました。
「あそこにお母さんのことを書いた書があるの。お願いだからあの作品だけは読んでいって」と・・・。
女子高生たちは不承不承、私の指した書を観賞しました。
すると一人がすすり泣き、そこにいた生徒全員が耐えきれずに、泣き出したのです。
その署は生まれたときから母に抱かれ背負われてきた脳性マヒの人が、世間の目を払いのけて育てて下さった、
強いお母さんへの感謝の気持ちを綴った詩でした。「今の健康と幸福を忘れていました」高校生たちは話し、
引率の先生方の目もうるんでいました」
この詩の作者は山田康文くん。生まれた時から全身が不自由で書くことも話すことも出来ない。
養護学校の向野先生が康文くんを抱きしめ投げかける言葉が康文くんの言いたい言葉の場合はウインクで
イエス、ノーの時は康文くんが舌を出す。
出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで1ヶ月かかったという。気の遠くなるような作業を経て、
この詩は生まれました。そしてその2ヶ月後、康文君は亡くなりました。
ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
(山田 康文)