大きな変化は誰の目にも明らか 小さな変化は見過ごしされがち

あるコンサルタントさんの話で、「人と比較しない」と「人の評価を受け入れない」とは違うと。

比較して羨んだり、妬んだりは何も生み出さないので「比較不要論」でOK

しかし、何かと発信またはアウトプットすれば、良いか悪いかは自分では決める事が

出来ず、世の中に評価して貰うしかなく、自分が良いと思っていても、世間からは

要らないという判を押される事もあり、辛いものがありますね。否定されたからと言っても、

微調整をして世の中の共用範囲に合わせて行くか、信念を貫き通すか、行動を起こせば、結果

が出ます。何かを発言すればどこからか反論が生まれるでしょう。嫌な事であっても評価を一旦

受け入れて、柔軟に対応したいものです。

若い世代の思考回路は、すでに違っていますので、自身の若い頃の感覚で話をしても響かない。

問題発言をされる政治家や経営者を見ていると、自分は間違っていない、正しい事を主張していると。

事実そうなのかも知れませんが、その発言が相手側にどう感じるのか、その視点で話さないと、相手が

「嫌だ」「信用できない」と思ったら失敗な訳で、人は正論より感情で動いているのだと思うのです。

新卒は未来で惹きつけ、中途は条件で選ばれると昔言ってた方がいました。

時代が変わり、若い人は「風通しが良いワクワクする職場」を選ばない、永久就職、終身雇用、年功序列

どれも響きません。30年先の人生を保証して欲しいと考えていない、保証できると信じてもいない。

身体を壊さない働き方、精神を病まない労働環境、他社に見劣りしない報酬、それでいて自身の価値を

高められることが、中心の思考回路だそう。

中高年(50代60代)ならば事情が変わる、残りの人生をどう過ごすのかが最大の関心事。

今までは欠点の少ない人材が重宝された、国語算数理科社会が人並みに出来て、ちゃんと人付き合いも

出来る人、それが良い人材と言われた時代もあった。並では並以下の成果しか得られなくなってくる。

やる気・能力は普通以下でも、勤務時間に決められたことだけこなしてくれれば良いという、これといった

欠点がなく平均点以下でバランスの取れた人材と欠点はあるけど突出したスキルを持つ人材。今後は後者の

タイプが喜ばれる方向に流れて行くような気がします。

優秀だけど大学を中退してるとか、優秀だけど週2~3日しか勤務出来ないとか、優秀だけど自宅で

フルリモート勤務以外は無理だとか、優秀だけど65歳を過ぎてるとか。こういった今まで陽の目を

見なかった人材が注目されるだろうと考える。必要なスキル以外は眼を瞑るように、高齢者だろうが、

引きこもりだろうが、人の目を見られないだろうが、偏った人材は大切、今まで考えもしなかった

物の見方をしてくれる、バランス重視の仕事はやがて淘汰されてしまうかもと心配してます。

閉塞感ある社会で尖った存在の人材は貴重です。自信をもって表舞台に出て来て欲しいですね。