受け入れ 認め ゆるし 愛してます 「まなゆい」の心がけ  感謝と祈り

Tver の無料サイトのドキュメンタリー番組を観た。 大阪市泉南市 13歳の死  いじめを受けた中学生が、公的機関へ

何度も連絡を取り、現状を訴え改善を求めて来たが、門前払いというか端から信用していないと言う対応であった。

やがて大人にも学校機関にも不信感が募り、最後は自らの命を絶ってしまった。母親が立上り辛抱強く、訴えを継続、当初は

見向きもされなかった。やがてある弁護士さんの協力を受けて、結果的に市長へ声が届き、第三機関のオンブズマンが設置

される方向になった所で番組が終わった。

役所や教育委員会など当事者のコメントを見てると、政治家と同じに見えて来たし、対処の仕方も大人に対しても子供に対しても

事なかれ主義がここぞとばかり、発揮されている。一人の声じゃ動かず、文書や父兄の前では綺麗ごとを言ってのける。

困ったことがあれば、全力で対応するなんて言っちゃたりする。政治家も選挙中は耳障りのいい言葉を発します。

不登校や一旦登校するも現実を見てまた絶望と、負のスパイラルから中々抜けられないのも事実。

駆け込み寺的な施設を作ってみても、個々の性格から顔を出して、自分の言葉で話が出来る人は、ほんの少しであろう。見た目は

大人が介入して表面的には落ち着いて見えても、根本的な解決には程遠いと感じる。注意された者は、地下に潜って更に悪質に

なる可能性も高い。個人ならまだしも仲間といると同調圧力も働き、心とは違う行動を取る事も。自分が仲間外れにまたは

今度は自分が標的になるかも知れないので気持ちを押し隠すのが、大人の社会も同じ原理ではないか。

人事異動というカラクリを使って、申し送りで済ませ、モノを言ってきたら、「ここではお答えを控えさせて頂きます」とか

「前任者の案件で私では分かり兼ねます」とか相手が諦めたらラッキー、継続して来ても、自分が異動すれば全てリセットという

流れがあり、結局 誰も責任を取らないと言うのが、昔からの慣例ですよね。

死亡するとか事件が起きて、実際問題が大きく取り扱わなければ、腰を上げない、何ともやり切れない思いが。

第二の 〇 〇 さんを出さない為にという、被害者の悲しみは一生埋められないのだと感じる。

同じ状況に置かれても、必死に耐えて、地道に生きて行こうとする者も、数多くいます。 究極は、その本人の気持ちの持ち方、

周囲の関り方、歩んできた経験値などが総合的に、岐路に立った時、道が違ってくるのかも。