Non, je ne regrette rien いいえ 私は思い残すことはない。
鎌田 實さんのエッセイから
上手な人生のしまい方
何時何処で「お迎え」が来るか分かりません。自らピリオドを打つ場合以外は、誰にもその時を知りません。
何かの本だったか、9十何パーセントの人は、「こんなはずじゃなかった」と後悔をするのだそう。
あの時、こうしておけば良かったとか、あの時に戻れるならば、もう一度やり直したいとか
でも、その時には、その判断がなかなか下せませんね。なんとかなる、今ここを乗り越えれば・・・
今も昔も、一生懸命働いて来た。家族の為、会社の為、理不尽な事柄にも耐えて来た。定年が近づいて来た
でも暮らしぶりは、一向に良くならない。きっと良いことも沢山あったろうが、良い事はあまり覚えていない
悪かったことや、辛かった事ばかりが、脳裏を過ぎりますね。
でも、先生は言います。働いても働いても、楽にならない。社会にしがみ付いていると苦労ばかりと
いっそ、今の荷物や生活スタイルを捨ててみては如何と、仕事に追われている時間が無くなって、その浮いた
時間で海外旅行に行き、カタコトの英語で世界を旅したらどうか、「世界は広いな」、「こんな窮屈な
暮らしぶりは馬鹿馬鹿しい」と世界観や死生観が変わるの持ってこいとの事です。
どうせお迎えに来るのが、必須ならば「心臓が止まりかけたら心肺蘇生をしましょうか」と聞かれたら
「もう充分生きたからいいわ。ややこしくなるから余計なことはしないで」なんて言ってみたいですわ。
「家族は呼ばなくて良い」 好きな曲を流し続けて欲しいとリクエストする方だとか、愛読書を耳元で
朗読して貰いながら、まるで瞑想するかのように旅立った方もいるのだそう。
「ありがとう。お陰で楽しい人生だったよ」と伝え、涙で無く拍手で送られる最後もなかなかなものです。
「老い方上手」は、「死に方上手」
今からでも遅くありませんよ、自分らしい時間を過ごせたら、上手な終わり方が出来ます。
その心持だけでも、表情からも、言動からも輝いて来るものと信じたいですね。