今、利他的に生きるという事 自分も人も幸せに生きる為に
ある冊子をパラパラと捲っていると、黒澤明監督の「七人の侍」のコラムがあり、うーんと頷いている自分がいた。
戦国時代末期の農村が舞台で、実りの季節になると盗賊と化した野武士がやってきて、村の米や麦だけでなく、女性の連れ去り、
逆らった者は、殺される、奪われ続ける村人は、現状を打破しようと、野武士を追う払うために、街へ繰り出し侍を雇うことに。
筋書きは、雇われた侍七人が、野武士をやっつけて、村に平和が戻った しゃんしゃん! という形かなと思わせといて、
実は、ゾッとする展開が待っている。劇中に登場する、野武士に家族を皆殺しにされてしまい、一人残された婆様だ。
そんな婆様を哀れに思った侍たちが、握り飯を分け与えに行った際も、早く死んで、こんな苦しみから逃れたいんだよ。あの世にも
こんな苦しみがあるべぇか と。 身寄りを皆殺しにされ、この世に未練はない、どん底に落ちてしまった哀れな老人のシーンで
観客は、残虐な野武士に対して憎しみが増します。
ある日、侍が村の様子を偵察に来た野武士の一人を捕まえた。野武士は、虜となり、何もかも白状して、命乞いをするも、
村人は、誰一人として耳を貸そうとしません。そこに自分より大きい鍬を持って、迷いなく歩く婆様に度肝を抜かれます。
長老の爺様の合図で、数名が駆け寄り、倅の仇を打たせた。その行動を目の当りにした侍たちは、何もすることが出来ずにいた。
丸腰で命乞いする相手を容赦なく殺してしまう農民。弱くて、低い身分だからこそ、いかに生き延びるかを考えているクレバーな
生き物として描かれている。婆様の野武士殺害シーンの他にも、落ち武者狩りで奪った甲冑や刀、隠しておいたお酒が大量に
出てきて、侍たちが戸惑う場面もある。映画の前半で、観客は野武士に襲われる「被害者」として農民に同情していたのに、
後半は、ズル賢い存在に思えてくる農民に、戸惑う侍たちと観客。
映画のラストで野武士を全滅させたことを祝い、楽しそうに歌う農民たち、犠牲となった侍と農民の墓が映しされるが、
農民たちの朗らかで明るい歌声が、彼らの悲しい心情と相反、悲しみが強調されてる。
戦が終わって、平和が訪れて、侍は用済みとなり、何事もなかったように日々が過ぎていく、戦の虚しさも描いている。
この村の農民が、一番賢く、危ない人なのかも知れないね。
この映画は、アメリカでは、「荒野の七人」として撮影され、大ヒットする。漫画「ワンピース」もモチーフはこれなんだとか
海賊王を目指す主人公が、一人ずつ仲間を集める基本ストーリー、各国や島の侵略を止める展開も似ている気がする。
弱さと表裏一体のしたたかさ 自分たちも遣られっ放しではではいけないのかも
上から目線の奴らに一撃をって・・・どうでしょうか