差別は無くそうと他人には言えるけど、自身の問題はそうはいかないものらしい

5月 また今年も厚くなりそうな気配、新緑の葉が、目に優しく視力にも良いのかも知れない。

NHKラジオを偶々、聞いていたら再放送の番組を流していて、朗読を聴いてる内に、目頭が熱くなり

運転中にも拘わらず、涙を流してしまった。

歳のせいか、苦労話・感動もの・動物もの・子供の成長・不思議な出来事など見たり、聞いたりする度、

涙腺が弱くなって来ている。

学校の道徳で使われている 「スダチの苗木」 という話は聞いたことありますか。

実際の中学校の教師が子供の頃の記憶として語られた詩集なのですが、徳島県の同和地区で出生した先生が、

両親の出自(学歴・職場など)が恥ずかしく、隠していて友達ともその話を避けていた事、友達を家に呼ぶ事

も無く、相手の自宅へ行った際の、生活環境のあまりの違いに酷く落ち込んだことを子供の目線で語っている。

普通の家庭は、お父さんは背広を着て会社へ通勤、母親は自宅で子供の帰りを出迎えてくれる。

自分の父親は、日雇い土木工事をしていて、身体は真っ黒に日焼けしていて、泥まみれの作業服姿。

中学を出てすぐに働きに出て、小さい弟や妹の為に休みもなく、働きづめだったそう。

そんな両親を見て、子供ながらに惨めだった、恥ずかしかった、情けなかったと先生はその頃を回想します。

先生も歳を取り、人の親になって、あの頃そんな風に考えていた事、後悔していて他人と見た目で判断してた事を

反省したんだそうです。

進学する際、親の職業を書く欄があり、日雇い仕事と書くわけにいかず、土木仕事でトラックやマイクロバスを

載ることがあった為、その年は「運転手」と記入、またある年は、自宅の小さな庭で畑仕事をしてたので「農業」

と記入したりと今を思えば人様が抱く職業のイメージばかり(世間の体裁)働いて、父親に悪い事をしたと。

先生が大学を卒業する際、父親が下宿先に御礼と言って、スダチの苗木を持って来て、庭に植えたそうだ。この時も先生は、

他の学生たちに対して、他の親は、スーツを着て、気の利いた物を持って下宿先に御礼に来ていたが、自分の父親は、

いつもの作業服に会社で使っているトラックに苗木を積んで、「何も出来る事がないから、地元の木を植えに来た」と。

先生は、その後中学校の教師となり、大学時代の下宿も事あるごとに伺っていた。

下宿先のおばさんは、成長する木を見て、一瞬にあの頃を振り返って貰えて、何よりのお土産と話をされます。

何も同和問題だけじゃ無く、一般の人々の中にも悪気は無くても、「あそこの息子さん〇〇大学ってよ」

「〇〇会社に入ったって優秀だねえ」 「親があれだから子供もやっぱりねえ」とか噂話は尽きないのでは。

言われた、聞いてしまった方は、もう喋らなくなるよねえ、距離とるよねえ。悲しいけど現実

地元の世界的な自動車会社を題材にした小説を読んだけど、あんなにグローバルな企業でさえ、直系の血筋に非常に拘り、

出自が全てのごとく、優秀であっても使用人からは脱却できない。本流迄のつなぎ役でしか立場が無い。