名もなき人々こそ、その時の扉を開けていくものです

<あるドライバーの告白>

なぜ交差点で止まらないのだ
ある日突然、わが子を奪われた悲しみが、悲鳴となって響き渡る・・・
あんなに大きい車が、無防備な人間を襲ってしまう・・・

遺族や家族に詰め寄られて、なすすべもなく、立ちつくす。
ただただ、被害者の回復を祈るような気持ちで、
なぜあの時、発見出来なかったのか。
もっと注意していれば・・・
手前で休憩しておけば、こんなことは起こらなかった。

しかし、現実に起こっていることなのです。
しかも、10年、20年無事故で来た人が珍しくない・・・・

人間は、どんな人でも万能ではありません。
昨日まで無事に来た人が、今日もそうであるとは限りません。

事故の記憶は、一生胸の内に抱えて生きることになるでしょう。

だからこそ、いま、あなたが問われていると思うのです。

自分の運転に責任をもてますか。

無事に走らせるのも、ぶつけてしまうのも、自分次第だという事。

もう一度そこで見る、

ボーっとしてきたら、止まる勇気を。

頭を冷やして冷静になる余裕。

プロドライバーは、無事で運んでナンボの商売だと思うのです。

<おかげさまで>

夏がくると、冬がいいという   冬ななると、夏がいいという

ふとるとやせたいという、やせるとふとりたいという
忙しいと閑になりたいといい、閑になると忙しい方がいいという

自分に都合のいい人は善い人だとほめ
自分に都合が悪くなると、悪い人だと貶す

借りた傘も雨があがれば邪魔になる
金を持てば、古びた女房が邪魔になる 世帯を持てば 親さえも邪魔になる

衣食住は昔に比べりゃ天国だが
上を見て不平不満に明け暮れ、隣を見て愚痴ばかり

どうして自分を見つめないのか、静かに考えてみるがよい

いったい自分とは何なのか、親のおかげ、先生のおかげ、
世間さまのおかげのかたまりが、自分ではないのか

つまらぬ自我妄執を捨てて、得手勝手を慎んだら
世の中はきっと明るくなるだろう