自分の見たいものしか、見ないように出来ているとしたら
<ある文庫本の一節から引用>
見ているつもりだけで、見てねえんだよ。人の目ってのは、そういうものかも知れねえ
何時まで経っても、事の正体は掴めねえまま、見えてねえんじゃなく、見てねえのさ
花ばかり目がいって、葉の形も茎の色も見ようとしない。ちゃんとそこにあるのにな
床の間に菊が活けてあった それを何色だと問われたから、白と紫だと答えた。
艶やかな菊が飾られていたのだから、秋から冬へと移ろうころ、
二輪の菊の花は、雪白と本紫の色をしていた。
「白と紫、お主にはそう見えるかい?」
「違うのですか、花の色をお尋ねになったのでしょう?」
「俺は、菊の色を問うたんだぜ」
菊の花を千切り取った、白と紫の花弁が散り、人の手の平ほどもある菊花が見えた
「これで何が見えるよ」 「菊の茎と葉が・・・」
「これを見て白だ紫だと言うやつはいねえ、茎も葉も花と同じく花活けの中にあった。
全部ひっくるめての菊だよな、なのにお主は花の色しか答えなかった」
「菊を見ているつもりだけで見てねえんだよ、さらにな、摘まみ上げると茎の切り口から
水が滴り、この先には根っこがあった筈だ、けどそんなこと誰も考えようとしない」
「本当は根っこが一番、肝要なのかも知れねえのによ」
花でも人でも何処を見るかで、事の様相は違ってくる。
真実は一つなのに